第0回 出立の時
n が 2 の場合、x2 + y2 = z2 を満たす自然数 x, y, z はすぐには見つかりませんが、32 + 42 = 52や 52 + 122 = 132 のような例なら闇雲に数を代入すれば見つけることができます。この n が 2 の場合はピタゴラスによる三平方の定理を満たす自然数の解に他なりません。
そして、n が 3 以上になると、突如 xn + yn = zn を満たす自然数 x, y, z が見つけられなくなります。フェルマーは今から 350 年ほど前に、そのことに気づき証明にとりかかりました。本当に「すべての n」についてそうなのか。
フェルマーは、愛読していたギリシャ時代の数学者ディオファントスが著した『数論』につぎのように書き残しました。
真に驚くべき証明をみつけたが、ここに書き残す余白はない。
こうして、この走り書きされた『数論』がフェルマーの死後発見されて世にひろまることとなりました。以来 350 年もの間、世界中の数学者、数学愛好者、それ以外の青年たちを熱狂させることとなり、1994 年にアンドリュー・ワイルスにより、(志村予想が岩澤理論を使って証明されると同時に)フェルマーの最終定理が証明されました。
ピタゴラスのおかげでフェルマーの最終定理の「問題の最初の理解」は助けられたといえるでしょう。フェルマーの最終定理は素人を巻き込むほど多くの人々を魅了したのです。
続いて、2003 年ペレルマンによって解決された「ポアンカレ予想」も、フェルマーの最終定理よりは難しいものの「問題」の輪郭はぼんやりとでも理解されたといえるでしょう※1。
このように数学の歴史の中で難解とされ百年を越える長い時間と幾多の数学者の努力がつぎ込まれた問題であっても、「問題の最初の理解」は意外に難しくはないのです。おかげで数学の道を志そうとする青年が次から次へとあらわれてきます。
ではリーマン予想はどうなのでしょうか。問題を取り巻く状況は明かです。百年以上解かれていない難問であることは「フェルマー」と「ポアンカレ」と同じですが、「問題の最初の理解」の状況が一変します。ほぼ絶望的と言っても過言ではない難しさがそこにはあります。
「フェルマー」「ポアンカレ」では「問題の最初の理解」にとってそれぞれピタゴラス、宇宙といったとっつきやすい助っ人がいました。リーマン予想にはそのような助っ人はいません。孤高の問題「リーマン予想」に立ち向かうには何を頼りにすればいいのでしょうか。本連載の主題と目標はそこにあります。
リーマン予想の「問題の最初の理解」が目標であり、そこへたどりつく道標を立てていくことが主題となります。すべては1859年、リーマンによって、たった8ページの論文の中で静かに述べられました。
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問題の重要性は数学の根幹に関わる点にあります。発表されて152年経つにも関わらず、「問題の何が問題になっているかという真の問題の理解」はまったく進んでいないという恐るべき現実があります。
そんな問題がこの世にあることこそエキサイティングだと筆者はつくづく思います。「フェルマー」と違って、リーマン予想には誰にでもわかる道標がないというならばそれに挑戦しようではありませんか。
15歳といえば中学と高校の狭間です。読者自身、15歳の自分にもどったつもりでこれからはじまる数学の旅を楽しんでください。数が奏でる遙かなる調べと美しい風景に出会うことを喜びとしていざ出発。目指すは、はるかなるリーマン予想。(第0回了)
※1 我が国では NHK 制作のテレビ番組『100年の難問はなぜ解けたのか~天才数学者 失踪の謎~』や、専門家による一般向け解説書が出された。それらのおかげで証明された後ではあったが、大きな関心を集めることになった。数学者の挑戦の様子を通して、問題がデフォルメされてでも伝えられ、証明のアウトラインや難解さが啓蒙された意義は大きい。
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